バックパッカー暦10数年のうち一番大きな衝撃を受けた場所の一つは、南米コロンビアのサンティアゴ・デ・カリ(Santiago de Cali, カリ) ではないかと思う。ガイドブックには、「コロンビア第三の工業都市。気候は蒸し暑く快適とは言えず、短期の旅行者にはそれほど見所もないだろう。でも腰を落ち着けて滞在すれば、フレンドリーな人々と充実したナイトライフに魅了されるはずだ」という半ばどうでもよいことしか書かれていなかった。

2010年7月、南米エクアドルを拠点にした旅行も1ヶ月が過ぎようとしていた。僕は未知の国を数日だけ垣間みる決意をし、バスで3時間のコロンビア国境へ向かった。国境を越えてすぐのパストという町でで大きな旧家を改造した安宿に2泊し、郊外にあるラグーンの水面の美しさに感動したあと、夜行バスでカリに向かった。カリのターミナルですぐに別のバスに乗り換えて、2時間ほどさらに北にある、サレントというコーヒーファームで有名な村に移動する予定だった。

午前6時、バスがカリのターミナルに着く。早朝のせいか暑さはなく、薄暗い蛍光灯に照らされたコンクリートの通路を抜けていくと、ターミナルの従業員の大半が黒人であることに気づく。眠かったので旅を中断して、タクシーで近くのドイツ人経営のホステルに向かい、窮屈なドミトリーで4時間ほど眠る。起きるとお昼前だった。ホステルでは日毎のイベントがホワイトボードに書かれている。宿の主人に今夜5ドルでバーベキューをやるが参加するかどうか聞かれるが、物価の高さに慣れていなかったので(コロンビアの物価はエクアドルの1.5倍かそれ以上)、適当に生返事をして外に出た。

長い坂をくだるとメインストリートのアベニーダ・セクスタ(6番道路)に出る。東南アジアのマニラやバンコクを足して2で割ったような甘ったるい匂いを含んだ湿気に包まれるが、黒人が多いので、すぐにそこが別の場所であることに気づく。ガラス張りのオフィスビルやショッピングセンター、夜はバーやクラブと化すカフェが並ぶアベニーダ・セクスタの一帯を抜け、長い歩道橋で市役所やカテドラルがある広場のほうへ歩くと、旧市街に出た。物売りや屋台が溢れる雑踏のどまんなかを数年前に開通したエアコン付きの新交通システムが貫いていて、その軌道や駅沿いには、ゴミ回収業者や麻薬中毒者が往来する荒んだ路地がいくつも口をあけていた。空が曇ってきて雨雲が集まりだす。しかし目前に立ちはだかる緑の山塊はくっりとした輪郭を崩さず、極度な低地とアンデスの山々が交互に起伏するコロンビアの地形を反映して光と曇った部分のコントラストに包まれている。

カリはコロンビア第三の都市であるばかりではなくサルサダンスで世界的に有名な場所だ。タクシーに乗ればラジオから流れてくるのはたいていサルサ音楽だし、街のあちこちにはサルサに特化したバーやクラブがあるだけでなく、日中は何の変哲もない雑貨屋に夕方にかけて人があつまり始め、目の前の道路がダンスホールに化すような場所が、僕が知る限りだけでいくつかある。中米やメキシコを長期で旅行するとき、どこかでサルサダンスを習うのは半分通過儀礼なようなものだ。しかし、(一般化を恐れずに言えば)カリのサルサダンスは、純粋に楽しむためだけに存在し、食べたり、寝たりするのと大差がない日常の一部だという印象を受けた。

メキシコや中米でのわずかな経験から類推して話すと、アメリカと国境を接するメキシコや中米地峡諸国の日常においては、従来のラテンアメリカ的伝統がノスタルジックに対象化される傾向にあり、もはや身体に根付いたものというよりは再帰的に学ぶものと化している。メキシコや中米ではサルサはアカデミックに「学ぶ」もので、どこでも外国人だとわかると、踊りはじめるやいなや相手の女性は僕のステップを矯正しようとしたし、バーでは、ある程度うまく踊れないと恥ずかしい、というような人々のスティグマが感じられた。だがカリにはこのような「恐れ」はほとんどない。良いのは、相手の女性(男女が逆の場合これが当てはまるかどうかは知らない)が、外国人であっても、どう踊るかほとんど「教えよう」としないことだ。

カリを中心とするバジェデカウカ地方は、コロンビアで人種的にいちばん多様な場所で、ロンリープラネット.コロンビア編によれば「コロンビアの人種的な多様性と女性の美しさが群を抜いて目立つ」ところだと言う(ただし女性の美しさにかかわる記述は、2010年度版をもって削除。どこかの団体からの抗議があったのだろうか)。だがそれだけではない。バジェデカウカ地方はコロンビアではほぼ唯一、20世紀初頭にまとまった数の日系移民の定住をみた場所で、カリ市内には大規模な日系文化センターがあるし、郊外のパルミラには数百の日系世帯があり、有機栽培の大豆で味噌や醤油を生産している会社もある。

ずっとあとになってカリを再訪したとき、この日系文化センターで分厚い、日本語で書かれた「コロンビア日本人移住70年史」という本を買った。コロンビアに到着した日系人の数は、隣国のブラジルやペルーに比べると、とるに足らない。だが、バジェ出身の作家ホルヘ・イサアクの「マリア」という小説が1923年に日本語に翻訳され、それを読んだ5人の青年が、桃源郷的なバジェ地方の情景描写に魅せられてコロンビア渡航を決意したというエピソードを読むと、この土地は日本と何か特別な絆で結ばれているんじゃないか、いや、そうに違いない、ということに思い至る。

カリの旧市街を歩いていて、人種的混淆、サルサ音楽、路上を埋める食物屋台や、物売り、行き先を執拗に連呼するバスの車掌。ラテンアメリカをカリカチュア化したような景色の只中にいて、ふと懐かしい感覚にとらわれることがある。旧市街の西側には、そびえる緑の山肌が急速に行く手を阻んでいて、それがどういうわけか熱海や神戸を思い出させる。適度な湿度を含んだ気候もそうだし、空港があるパルミラやさらにその先へバスで移動すると、日本の初夏のようなふんだんな緑の穀倉地帯が山脈まで見渡す限り続く。

これらのあいまいな印象を根拠に、90年前にこの土地にやって来た日本人や、日系コミュニティに思いを馳せるのは、通りすがりの旅行者の気まぐれに過ぎないと思う。一方で、カリの日系社会は、日本では知る人も少なく、日系人に偶然出会ったりすると、意外な歓待を受けたりもする。意外なところでは、郊外に天理教の寺院があり、日系人を中心に支持を獲得していることにも驚かされる。2010年7月、一ヶ月に及ぶエクアドル滞在のあと、一週間ほどコロンビアに行き、カリに5日だけ滞在したが、この最後の5日のあいだに、ラテンアメリカ大陸の面白さについて、これまでのどの旅にもなかったような重要な知見を得た気がする。

#メキシコと中米のサルサに関するくだりは賛否両論あるかと思いますが、勢いで書いたものなのでご容赦ください。